宮中で働く女性たちの要点
- 平安時代の宮中で働く女性を「女房(にょうぼう)」といった
- 『源氏物語』『枕草子』『紫式部日記』は女房が書いた文学
あこがれのキャリアウーマン!
宮中にはたくさんの女性が働いていました。女性の身分を大きく分けると「女房(にょうぼう)」・「女官(にょうかん)」・「下仕(しもづかえ)」です。この中で最も重要なのは女房で、女房は位の高い女性に使える私設スタッフであり、家庭教師でもあり、秘書でもありました。女房となるのは中流役人である「国守(くにのかみ)・国司(くにのつかさ)」の娘たちで、教養のある女性でした。そのため、彼女らの父親は、娘たちが小さいうちから和歌・漢詩の教養をつけさせました。一方、女官や下仕は国に雇われた公務員で、日常の雑務をしたり、手紙を届けたりしました。
女房の身分は大きく三つ
女房の身分は、実家の家柄・身分の高さで上・中・下がありました。上から順に「上臈(じゃうらふ ジョウロウ)女房」「中臈(ちゅうらう チュウロウ)女房「下臈(げらう ゲロウ)女房」といいました。女房たちは、本名を名のることはなく、父親や一族の人の役職名で呼ばれました。例えば「清少納言」は、「清原氏」の「少納言」が一族にいたために、このように呼ばれていたのです。父親の赴任した国の名前をとって、「伊勢」「播磨」などと呼ばれていた女房もいます。
女房はとっても才能豊か
天皇にはたくさんの奥さんがいました。それぞれの妻に女房がおり、妻たちは女房はお嫁入りの道具として宮中につれてきました。天皇の第一夫人を「中宮(ちゅうぐう)」といい、中宮についた女房を特に「宮のひとびと」「宮の御方」と言います。こういった女房は、選りすぐりの才能ある女性たちでした。紫式部や清少納言は女房として中宮にお仕えし、そこでの生活をもとに紫式部は『源氏物語』『紫式部日記』を、清少納言は『枕草子』を書きました。