「玉勝間:兼好法師が詞のあげつらひ」の要点とは
- 「徒然草」における兼好法師の主張を、著者が一刀両断する
「玉勝間:兼好法師が詞のあげつらひ」の登場人物
- 兼好法師
「玉勝間 兼好法師が詞のあげつらひ」の重要な場面
- 兼好法師は「徒然草」の中で花や月の楽しみ方を謳っているが、同意できない
- 本心に逆らって心を作るのは良いことではない
「玉勝間:兼好法師が詞のあげつらひ」の内容要約
兼好法師は「徒然草」の中で「花や月は盛りだけが見所でない」と言いますが、花が散るころや月が雲にかかるころを惜しむ歌に魅力があるのは、花も月も盛りのころを良いと思っているからこそです。花が散るころ、月が雲にかかるころを願っている歌はなく、兼好法師が語るのは本当の風流ではありません。
願望とは異なるものを風流とするのは、作り事が多いのです。恋愛についても同じで、別れや悲しみについての歌が趣深いのは、恋愛を成就させたいという気持ちがあるからこそ。つらく悲しいことが風流だと言って願うのは本心ではありません。
兼好法師は「四十歳より若くして死ぬことがいい」とも言いますが、これは仏教に影響されているだけです。言葉でそうは言っても、心から願うことはありません。
どんなにつらくても命を惜しまないというのは本心ではありません。海外の考え方などに影響され、本心を作り飾ってはいけません。
参考
東京書籍『教科書ガイド精選古典B(古文編)Ⅱ部』